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2025.07.03

世の中の通念上、木や石、漆喰などは天然素材、自然材料など定義が曖昧な呼び方で認識されている。本来であれば「原材料に近いもの」と表現した方が適切だと思われる。ちなみに原材料は原料と材料に分かれる。原料は素材の原形を留めておらず、材料は原形がわかるもの。つまり建築に使われる木材は「材料」ということで良いのでしょう(ちなみにナイロン袋は石油から出来ているけど原形を留めていないのでこのケースの石油は「原料」となる)。じゃあなんで自然素材なんて言葉が生まれるかというと原料からつくられる化学合成された建築部材があるからその対義語として自然素材という言葉は成り立っていると言える。ホントは「材料」で良いのに。

さてさて、その「材料」にとって昨今求められる「品質管理」は非常に厄介な存在である。ある程度の調整は効くけれども、基本は自然の中でつくられた彼らは化学合成されたものと比べるとバラツキが多い。大雑把にいうと「材料」における品質管理とは選り分けである。ここが化学合成されたものとの大きな違いで、もちろん採掘や伐採など「採る」段階での品質管理も発生するが、それらも熟練の目を持った仕事人の選り分けに過ぎない。日本人はマグロを大トロ、中トロ、赤身、カマ…などと部位別に分けていくわけなんだけど、大トロだけたくさん欲しい、と言われても全体の0.1~0.5%だけしか取れない部位なのでそれは無理強いというものである。もちろん果てしなくマグロの供給があって総量がたくさんあれば話は別だが。残った部位はだれが食べるのかって話だけど。

話を木に戻すと乾燥具合や寸法を整えることはある程度出来る。しかし化学合成されたものと比べるとやはり「材料」には難しさが残ることは言うまでもない。生のマグロ刺身よりもツナ缶の方が安定的に手に入るのと同じ原理である。もしかしたら刺身など売れ残ったらすぐに廃棄される運命かもしれない。

お金がたくさんあっていくらでもコストをかけて良ければ存分に選り分けたものを使えばよろしい。時にはそれも正しいが、赤身(マグロ)の良さを存分に発揮することも技術と言える。化学合成の品質と「材料」の品質は一緒にしてはいけない。化学合成の品質を「材料」に求めると極端な話「大トロの刺身を極限に薄くスライスして赤身の上に載せる」という暴挙になるのだ。分別が必要である。赤身に大トロの味を求めるのはおかしい。赤身には違った美味しさ(役割)があるはずだから。

 

 

 

※写真は文章と関係ありません笑 シレッといい仕事をしている石段です。

 

 

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  • 2025.05.02

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